Wild Geese/00 Prologue

Sat, 06 Apr 2013 00:29:14 JST (2799d)
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 秋(とき)だな、とキーラは思った。
 秋が来ている。
 なぜ自分が、という思いがある。先代の王である父が死に、自分が女王に即位してから、三年。三年間覚悟してきたつもりだが、今になってなお、自分一人の覚悟では背負いきれないものがある。

 千年だった。
 千年前、アルビオンの属国だったアイリン島の小国ヒベルニアは、アルビオンに対し反旗を翻した。戦は敗北に終わり、ヒベルニアの王は、諸侯と民を引き つれ、国土を捨てた。そして最初に訪れた"神聖なる森"で、大地母神から"沈黙の鐘"を与えられ、神託を賜ったのだった。「千年の戦いの後、然るべき王 国を与える」と。ヒベルニアは依って立つ地を持たず、愚直なまでに神託に希望を託し、天地千年をさまよった。人はいつしか彼らを、ワイルドギースと呼ぶようになった。

 そして迎えた千年後に、民を率いているのが、自分だった。
 海からの風は、身を切るように、冷たい。風は、銀の髪をすり抜け、うなじの辺りを冷やす。
 キーラは、沈みゆく夕陽を見ながら一人、風に当たるのが好きだった。それは幼い時からのことで、特にどうという意味があるわけでもなかった。冬などは、その凍えるような感覚が心地よい。今日のような日が、そうだった。

「そんなところにいつまでもいらしたら、お風邪を召されますわ、陛下」

 砂浜を歩いてくるのは、姉だった。目に、微笑をたたえている。姉はグレースという名で、大地母神の寵愛を受ける、ドルイド僧だった。王国では自分に次いで、第二位の立場にいる。
 二人でいる時は、あらたまった口をきかないという約束だったが、キーラの様子を察して、気持ちをほぐそうと思ったのだろう。グレースはよく人を笑わせ、自分もよく笑う。そういう明るさが、キーラにはなかった。豊かな金髪が風に巻かれ、夕陽に輝くのを見て、太陽だな、と思った。自分は、月だった。

「鐘は?」

「ここから東に導こうとしてる。戦は近い、という気がするわ」

 ワイルドギースを導く"沈黙の鐘"。鐘は時として、自らの意思で鳴り響くこともあった。それは神の意志そのもので、その音色を正しく聞き分けることができるのが、ドルイド僧たちだった。

「千年、経ったな」

「ええ、とても長い時間だったわ」

 今度こそ、キーラは笑いそうになった。自分たちが生を受けて、わずか二十数年だった。民を率いてからは、三年に過ぎない。

「徴集を、かけようか」

 キーラはひとつ、息を吐いた。
 ワイルドギースの諸侯、そしてドルイド僧たちは、それぞれが民を率いて、別々に行動していた。民を全て集めれば、数千人という規模にはなる。"徴集の鐘"を鳴らせば、諸侯は民を率いて集結する。それぞれの諸侯が持つ鐘は共鳴し、グレースの持つ最初の鐘の位置を示す。だが、その全てが集結してしまうと、土地の領主たちに目をつけられやすいということがあった。それで、大きな戦を求められないかぎり、王国は小さく別れていた方が都合が良かった。
 しかし今、王国はひとつになるべきだと、キーラは思った。千年が経ったのだ。今、鐘が導いているのは、あてどなく続く戦いの業火ではないはずだった。
 いや、そうだとしても、その先にはこのような流浪ではない、文字通り地に足つけた、"王国"があるはずだった。
 年が明け、諸侯は今年中に結集する。それは決定済みで、問題は時機だった。早過ぎはしないか。しかし鐘はより大きな戦にワイルドギースを駆り立てるかもしれない。ここは君主たる自分の、決断の問われるところだった。

「そのことで、悩んでいたの?」

「わかるか」

「わかるわ。何について悩んでいたのかまでは、わからなかったけど」

「どう思う? 今、徴集の鐘を、鳴らすべきかどうか」

「わからない。それを決めるのはあなたで、鐘を鳴らすのが、私の役目。大体あなたは昔から、自分に自信を持たなすぎるのよ。もう少し自分に自信を持って頂戴」

「相談役、というのも姉上の役目だ。それに、自分に自信がどうとか、そういう話を訊いてるわけじゃない」

「最終的には、陛下の御決断です」

「・・・わかった。鐘を鳴らしてもらおう。諸侯に、徴集をかける」

 グレースが、にっこりと微笑んだ。

「いよいよね」

「ああ」

 いよいよだった。
 千年の放浪に終止符を打つべく、これが最後の戦いになるはずだった。
 陽が、海に沈む。目の前の海は、尊大海などと呼ばれているが、もう少し優しく、暖かい感じがした。風は、止んでいた。
 キーラが立ち上がると、再び、海からの風が吹きつけてきた。姉妹は歩き出した。野営地に向かうキーラの背中に、心地よい冷たさで、それは追い風だった。
 そしてもう、後ろを振り返らなかった。




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